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官僚とメディア (角川oneテーマ21 A 62) (角川oneテーマ21)
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アスキー

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ユーザーレビュー一覧(全15件 平均:4.5)

評価5点「メディアに何かを期待すべきなのか?」 2007-05-31
レビュアー:もなか(29人中26人が参考になったと回答)
本書を読むと、現在のメディアを巡る問題状況−いやメディア自身だけに留まらず、それが関わる森羅万象を巡る問題状況と言ったほうがより適切か−が一つの揺ぎ無い構造の上に成立していることをいやが上にも痛感させられる。

メディアが文字通り「媒介者」でしかない以上、その入力を掌握するもの=公権力がいかようにも動かすことができるというのは、あまりにも自明な、そして磐石な構図である。逆にそのような構図にも関わらずメディアが反権力であるという妄想が許された時代が牧歌的であったという気さえするほどだ。記者個人の姿勢はともかく、総体としてのメディアは権力と一体である。哀しいかな、代議士の世襲を批判しようにも、今や政治記者の身分が三代に渡って世襲されるご時世なのだ。

言論統制といえば今だに北朝鮮を例に挙げることが多いが、かの国のように公然と「言論統制する事」を行うような仕組みは、メディアへの入力としての「情報」は統制できても、言論の基盤となる人々の意識を制御することはできない。比較してわが国は言論の自由がタテマエとなっているために、情報を統制することが意識=言論を制御することに直結する。 何でも言えるはずのメディアが黙っているということは、そこに何か言うべき事実が存在しないと見なされる。少なくとも国民はそう見るように馴らされている。

魚住氏は元記者であり、かつての同僚たちの一片の良心に期待しているようだが、その点については少々異論がある。記者個人個人の努力や力量よりも、むしろ、大企業の広告と公的機関の発表情報に牛耳られたメディア空間で、高額所得を保障された記者が記事を書く、というこの構造の抱える欺瞞を多くの人々が認識することからしか、突破口は開けないのではないか。
評価5点「「時代の空気」を支配するもの―メディアはだれのものか」 2007-04-28
レビュアー:仮面ライター(27人中23人が参考になったと回答)

 去る4月25日、地元紙『北海道新聞』において、「検証・拓銀破たん10年」なる興味深い特集記事が掲載されていた。それは1997年11月に経営破綻した拓銀(北海道拓殖銀行)に関する証言で、破綻の前年までの2年間、旧大蔵省銀行局長を務めていた西村吉正氏(現早大大学院教授)へのインタビュー記事であった。その中で氏は、拓銀破綻は想定外だったとし、拓銀を巡る報道の「無責任さ」を嘆き、次のように述べるのだ―時代の空気と無関係に行政運営が行われることはあり得ません。それは非常に大事な要素、いや、すべてと言っていいほどの影響を持つものです、と…。

 「空気」といえば故・山本七平氏の『空気の研究』を彷彿とさせるが、上述したような「時代の空気」を醸成、支配しているのがマスメディアであり、当然、この「空気」による犠牲者はひとり拓銀だけではあるまい。本書でも指摘しているが、直近では、耐震偽装疑惑やライブドア・村上ファンドなどに関する「事件」も、ある意味では「空気」による犠牲者かもしれないのだ。さらに深刻なのは、近年、国土交通省や検察等の司法機関が「空気」捏造の「共謀共同正犯」、否、「主犯」格となってきている事実であり、著者も己自身の記者経験を踏まえつつ、当書で警鐘を鳴らす。

 本書では、メディアと権力との「共犯関係」「癒着構造」を具体的な事例を挙げて告発している。その近因は何と言っても、メディア側の「客観報道主義」という名の「無責任主義」であり、もっとも悪質なのは、新聞記者どもが記者クラブ制度に安住し、戦前にもみられたように権力の「情報提供者」「情報幕僚」として振る舞っている、という実態だ。「昔陸軍、今検察」と称されるごとく、特に、特捜検察などは今や「ブレーキの壊れた車のように暴走し始めている」(本文)始末で、最高裁を含めた「司法の腐敗」を糾明、弾劾するようなメディアは、もうこの日本には存在しないのだ。

評価4点「昔から変わらない」 2007-04-22
レビュアー:PIVO(17人中17人が参考になったと回答)
国家権力とメディアの持ちつ持たれつの構造を具体的な事例を挙げて紹介している。そう言えば、NHKの番組改編と朝日新聞の誤報疑惑は結局解決されたのだろうか?太平洋戦争当時の元参謀が著者に向かってこう言ったそうだ。「あなた方は我々の戦争責任を言うけれど、新聞の責任はどうなんだ。あのとき新聞の論調は我々が弱腰になることを許さなかった。我々だって新聞にたたかれたくないから強気に出る。すると新聞はさらに強気になって戦争を煽る。その繰り返しで戦争に突き進んだんだ。」本書を読むとこのような権力とメディアの関係が現在でも何ら変わっていないことに気づかされる。著者は、メディアは経営者や株主や広告主のものではなく、無数の読者のものであるはずだと書いているが、これを実現させるための具体的な提言を著者に期待したい。
評価4点「誰が正義を背負えるのか」 2007-04-25
レビュアー:革命人士(17人中15人が参考になったと回答)
魚住が「現代」に取材メモを発表したNHK放送改変問題のほか、耐震偽装マンション問題、村上・ライブドア事件をテーマに、公権力の行使とメディアの捕らえ方という複眼から見た。魚住は、これらの現状から、メディアは公権力に「操られて」意に沿う報道を行っていると指摘する。新聞情報の7,8割が官庁情報という体たらくでは…

また、最後に裁判員制度の記事と広告を巧妙に織り交ぜたPR活動の実態を暴露する。これが実にいやらしい。まず最高裁と共催で裁判員制度のシンポジウムを開催すると一般記事で書き、シンポを開き、後日行うシンポ詳報の下に裁判所出稿の裁判員制度の記事下広告が入るというもの。詳報も一般記事だから、裁判員制度を正しいものと思ってしまうが、実は裁判員制度は半分以上の国民が反対しているという意味で議論が割れている問題だ。広告、記事が一体になって裁判員制度の普及に努めるのはどうなんだということだが最もだ。(ちなみに同様の手法は原子力発電でも使われているらしい)

国もメディアも正義を果たせない中、一体誰が正義を背負っていくべきなのか、やはりメディアなのだろうが、道はかなり遠そうだ。
評価5点「メディアをよりよく役立てるために・・・」 2007-08-21
レビュアー:ny(13人中11人が参考になったと回答)
 新聞やテレビなどのメディアが時の政治家や官僚などの権力に
懐柔されたり、権力に都合のよい情報を流してしまうといったこと
はなぜおきるのか?さらに、それらの誤った情報に基づいて、事実
とは異なる(時として正反対の)世論が形成されてしまうことが
おきるのはどうしてか?

 著者は自らがメディアの中にいたジャーナリストであり、「耐震
偽装問題」や「ライブドア、村上ファンド事件」「タウンミーティ
ングのやらせ問題」などの身近な実例を挙げながらそういったこと
がなぜおきるのかということについて鋭い指摘をしている。
 大変分かりやすいと同時に、これらの指摘が本当に的を得たもの
であったなら、普段見聞きしているマスメディアの不完全さは想像
以上であることにショックを覚える。

 マスコミには客観的な報道を期待しているが、この客観報道
主義というものこそが、メディアが悪用され、漬け込まれる源泉で
あるという指摘には心底驚いた。

 受け手としての備えは、著者が明快に書いているとおり「そも
そも報道とはそれほど神聖な仕事ではなく、情報という商品を不特定
多数の読者に売る仕事に過ぎない。そしてその商品の原料である一次
情報の約7割は、官庁もしくはそれに準じる機構からただで提供され
るものだ。」という指摘を常にそれらに接するとき、冷静に考えておく
ことなのかもしれない。