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終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ (集英社新書)
終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ (集英社新書)
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集英社

¥ 735

新書

売上ランク:11696位

2005-06

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ユーザーレビュー一覧(全11件 平均:4.5)

評価5点「著者は、おそらく日本で唯一ユーゴ内戦を語る資格を有するライターである」 2006-05-06
レビュアー:Taro(49人中45人が参考になったと回答)
まえがきにもあるが、現地取材主義という著者の主張に基づいて書かれたルポである。だから、この作品は新書にも拘わらず、バルカンの歴史等は殆ど記されていない。私はこれを「歴史も重要だが、もっと重要なのは今この国では何が起こっているのかを公平・正確に伝えることだ」という彼の主張だと思っている。

といって、彼がバルカンの歴史を知らないのではない。著者には「誇り」「悪者見参」「オシムの言葉」という作品がある。これらは、旧ユーゴサッカーのサッカー選手(監督)が題材とはなってはいるが、旧ユーゴの内戦をルポした優れた作品である。この中で彼はあらゆる民族のあらゆる人々に対して取材しているのだが、それはバルカンの歴史を認識していないとできないことだ。

『民族浄化』という言葉は、ボスニア内戦時に、ボスニア・ヘルツェゴビナのメディア戦略を請け負ったアメリカのPR会社が最初に使用したものである。意味は『ホロコースト』と同じである。そして、この言葉を欧米(特に米)のメディアが繰り返し使用することで、セルビア=悪者というイメージが一般的に広まったのである。

’99年のNATO(アメリカ)空爆によって終結したとされる、コソボ紛争後の旧ユーゴ(コソボ)の状況をルポしたこの作品で、著者はセルビア系住民に対してなされていることは報復ではなく新たな『民族浄化』であると記している。

誰もが加害者であり誰もが被害者であるはずのユーゴ『内戦』に、ある思惑(付属文書B.興味のある方は調べてみてください)をもって『人道』介入をしたアメリカ、「戦争広告代理店(著者はNHKディレクター!)」という作品を読めばわかるが、PR会社の戦略に乗せられて間違った報道をし続けたばかりか、空爆終了後は手のひらを返したように沈黙したメディア。彼らの行為がどんな悲劇をもたらしたのか。著者の作品にはそれが書かれている。
評価5点「セルビアとコソボ」 2005-10-09
レビュアー:糸音(40人中36人が参考になったと回答)
旧ユーゴスラビアの内戦ではセルビアは常に悪者であった。
それはクロアチアが情報戦争に勝利し、セルビアに悪のレッテルを貼り付ける事に成功したからであるということは今ではよく知られている。
クロアチアとセルビアの内戦が終わった後もセルビアの悪のレッテルは貼られたままである。そして、コソボの内乱。支配者であったセルビアと解放を求めるコソボのアルバニア人。悪であったセルビアがさらなる悪となり、コソボのアルバニア人が英雄となるにはさほどの時間はかからなかった。

著者はセルビア側、アルバニア側それぞれの対象に直に調査し、自分の目で現状を見つめ、どちらにも肩入れする事のない中立的な視点からこの書を書き上げた。「セルビアも被害者だ」と声高に主張するだけではお互いの罪状を相殺するだけの結果となる。KLAがマフィアと深い関係にあった事やセルビア人もアルバニア人もそれぞれ虐殺を行った事なども広く知られるようになった現在でも、アルバニア人はなぜか正義の側にある。それは内乱に至った経緯やNATOとの関係など複雑な情勢のなかで作り上げあられたものである。

よく取材し、また対象に幻惑されることなく、コソボを巡る現状を淡々とした筆致で記している。付け加えるとすれば、旧ユーゴスラビアの歴史的な事実への考察と論及が少ないところか。アルバニアがユーゴと別れて独立した事や、ユーゴとアルバニアがそれぞれ独自路線を採った事、クロアチア人であったチトーとセルビア人との連邦内における関係などもコソボの歴史的経緯や現状に大きく関わっている。そもそもなぜコソボがユーゴスラビアでそのように位置にあったのかということへの論及がなければなかなかセルビア人との関係が理解しづらいのではいかと気になった。

評価5点「ヨーロッパで続くもう一つの「拉致問題」」 2005-08-03
レビュアー:革命人士(21人中18人が参考になったと回答)
「教えて欲しい。なぜ私の一族はこんな目に遭わなければならなかったのか」。セルビア=モンテネグロ・コソボ自治州で、子どもをアルバニア人に拉致され、自身もセルビア本土へ難民として避難したセルビア人の父親から話は始まる。遺影を手にうつむいて写る父親の姿に涙した。コソボ自治州で、内戦が終わってから3000人のセルビア人が拉致されているということを全く知らなかった。

本作はアルバニア人、セルビア人双方から被害者たちの心の痛みを気遣いながら、うめき、嘆きを聞き出している。筆者の怒りは当事者となっているどの民族にも向けられていない。ミスリードして単純なセルビア悪玉論を展開したメディア、それに乗って空爆を開始し、今もコソボを監督しているにもかかわらず、民族浄化を放置している欧米諸国に激しい怒りが向けられている。当然だろう。欧米が放置している限り、民族浄化は続くのだから。また、これだけの人が拉致され、殺されているにもかかわらず、欧米との協調のため、コソボに強い立場に立てないセルビア政府への怒りもよく伝わる。だが、筆者の一番の怒りはおそらく、コソボで続く悪夢に世界が無関心であることなのだろう。

憎悪しかないコソボの大地で両者が交わることは非常に困難だ、ということが本書から強く伝わり、ひたすら暗澹たる気持ちで読み進んだ。終わり近くに登場する、子どもをセルビア人に殺されたというアルバニア人の父親が、愛息の遺影を手に語る、セルビア人に向ける温かい言葉が切ない。

できるだけ、引用を排除し、現場にこだわったという本書は、セルビアの周辺諸国で各民族のさまざまな有力者に直接取材もし、質の高いセルビア情勢の報告にもなっている。ともかく、民族の拉致問題は日本だけではないことを知るのに読みたい1冊だ。
評価5点「国際社会の光の当たらない、もう一つの「民族浄化」」 2005-06-21
レビュアー:妹之山商店街(15人中10人が参考になったと回答)
「国連安保理決議を迂回して行われた軍事攻撃はイラクではなく
このユーゴで最初に行われたのだ」
1999年、国連安保理決議なしで、宣戦布告もなくユーゴ空爆が行われた。

ミロシェビッチ政権による民族浄化からコソボのアルバニア系住民を
守るという口実で、「人道的介入」という名の下に空爆が行われた。

確かに空爆前から相互の衝突による死傷者が出ていた。
セルビア側の蛮行があったのも事実である。
しかし被害が質的にも量的にも飛躍的に増大したのは
実は空爆開始後なのだ。
空爆開始に激昂したセルビア民兵による、アルバニア系住民宅への
放火、殺人、追い出しにより90万人もの難民が生み出された。

78日間の空爆後、コソボのセルビア人20万人が
難民となってセルビア本国へと追い出された。
コソボに残ったセルビア人3000人が誘拐・拉致され
1500人の遺体が確認されている。
UNMIK(国連コソボ暫定統治機構)とKFOR(コソボ治安維持部隊)の
統治下にあるにもかかわらず。

KLA(コソボ解放軍)は、NATO部隊と共に、旧ユーゴ連邦軍と戦った後
そのままコソボの警察などの公的機関の要職に就いている。

KLAはその後、隣国マケドニアに軍事侵攻し、支配領域を拡大している。

「自らの加害性を互に歴史として自覚し合ってこそ、真の民族融和の再構築が
始まるのだ」と著者は言う。
民族融和に心血を注いだチトーの肯定面。
同時にチトーの限界、否定面も批判され、反省され、教訓化されなければ
ならない。
例えば、チトーは過去の諸民族の対立の歴史を封印し、触れることを法律で
禁止した。
しかし、それでは何ら問題の本質的解決にはならない。
目を背けたくなるような陰惨な現実でも、真正面から受け止め、対峙し、
乗り越えることによってしか本質的解決への道はないのではないか。
チトーの遣り残したこともまた、旧ユーゴ紛争の本質的要因の一つであると思う

評価5点「第三次世界大戦は1999年にコソボで始まった」 2005-07-12
レビュアー:tokuちゃん(12人中10人が参考になったと回答)
本書は、旧ユーゴの情勢を情熱的に追いかけているフリーのジャーナリストによる、良質のルポである。良質というのは、先入観に毒されておらず、自分の足で動き、自分の目や耳に入ってくることに対して、自分の頭で考えたことを書いているからだ。「自分が見たこと、自分が聞いたこと、自分がすること、そこにあるもの」を描くという真実のルールが貫き通されている。コソボ空爆後にセルビア人たちが民族浄化されているのに、誰も見向きもしないという現実を伝えなければならないという情熱によって描かれた本書を読んで、私はようやっと、セルビアがなぜ悪玉として欧米のメディアから非難されつづけてきたのかがわかった。おそらく、欧米が狙っていたのは、旧ユーゴスラビアの解体と植民地化であろう。そのためには、求心力をもっていたセルビアを貶め、非難することが必要だったのだ。冷戦後世界の不条理を、解明するための知恵を与えてくれる本である。