ユーザーレビュー一覧(全4件 平均:4.0)

「「自己完結」的な生き方は清々しい」 2008-11-28
レビュアー:akokendo(3人中3人が参考になったと回答)
山野井泰史・妙子夫妻のヒマラヤの難峰ギャチュンカンへの挑戦を描いたノンフィクション。沢木耕太郎のてらいのない文体が冴えている。あくまでソロまた最少の人員・装備で,自らの力だけを頼りに頂上を目指す山野井のスタイルは,危険もあるが読んでいて心地がよい。講談社ノンフィクション賞受賞。
巻末の池澤夏樹の解説には,「最も自由なクライマー」と題して以下の文章が記されている。
「泰史と妙子は全くの自由なのだ。すべてを自分たちだけで決められるように生活を,人生を設計している。あることをするのに,他人が提示する条件を容れた方がずっと楽という場合でも,苦労を承知で自分たちだけでやる方を選ぶ。それは本当に徹底している。その姿勢をぼくは自由と呼びたい。」
スポンサーを求めず,節約を重ねて登山の費用を貯金し,かつトレーニングを欠かさない。登山に名声や名誉を求めない山野井夫妻の生き方は,実に示唆に富むものがある。自己を抑制し,身の丈にあった「自己完結」的な生き方は清々しい。

「これをノンフィクションと呼ぶべきか・・・」 2008-11-05
レビュアー:浪速のスライサー(9人中1人が参考になったと回答)
映像でも、小説でも、作り手の意思が入った時点で、本当の意味のノンフィクションと
言うのは存在し得ないのかも知れない。そのことを痛感する本です。
読む人それぞれ、感想は違うと思うのですが、私が強く思ったのは「生と死の境目にいる
人の心理描写をここまで正確に書けるのか?」と言うこと。書き手の想像力なのか、語り手
の才能なのか。勿論本格的な登山をしたことの無い私には理解し得ない世界なのですが、
ずっと心に引っ掛かりました。
あと、遭難のシーンは長すぎます。読んでいて辛かった。沢木さんの本はほぼ全部読んでいる
と思うのですが本書と「壇」、漢字一文字の題名は合わないのかな。

「山に人は何故、ここまで引き付けられるのか」 2008-11-22
レビュアー:hiraku(0人中0人が参考になったと回答)
日本を代表するクライマー、山野井泰史・妙子夫妻のギャチュンカン登頂の記録。私が彼等夫妻を知ったのは、NHKでこの登山の後グリーンランドの岩壁への登頂のドキュメントを見たときであった。今でも思い出されるのが、泰史の人懐っこい笑顔と妙子の優しい微笑みであった。手の指全てを凍傷で失った妙子が器用に包丁や箸を使うところに感心したり、鴨居で懸垂をするときに、残った指が邪魔になる、といって笑っていた泰史の笑顔が頭に焼き付いている。その興味深い夫婦の登山を追ったドキュメント。
この登山は困難を極めるものとなり、人間の体力の限界や気力の限界を我々に示してくれ、またここまで人は耐えられるものなのか、と驚愕してしまう内容なのだが、一番きになるのは、死の代償を払わなくてはならない可能性のある、困難な登山に何故ここまで人は引き付けられるのか、ということである。泰史は11歳で登山に目覚め、そこから人生の全てを賭けて、登山に取り組んでいる。「そこに山があるから」という言葉では表されない、何かが潜んでいるのであろう。海外との登山家との関係でも、「登山」というまるで共通言語があって、その言語(登頂ルートでありスタイル等)で会話ができるのである。そこには人間の本質があるのかもしれない。アフリカの大地で産声をあげた人間の先祖が苦難を超えて、世界中に散らばったのは、険しい山脈を越えてきた経験がDNAに深く刻まれており、そのDNAを深く持ち続けている人間が登山家になるのかも知れない。とにかく頭では理解できない世界である。本当に人間の根源に関わる世界なのかもしれない。そしてその世界は厳しく険しいのである。人間の成長を一気に引き受けてくれるほど、偉大な世界なのである。

「壮絶な登山を求めて」 2008-11-30
レビュアー:カラッと爽快(0人中0人が参考になったと回答)
山に挑む男を描くノンフィクション。
富や名声ではなく、自分が欲求をみたす、ただそのための挑戦。
過酷極まる登山の果てに重度の凍傷。
その凍傷の後の心の揺れ動き、葛藤、新たな意欲がわいている過程がうまく書かれている。
最後に山野井夫妻とともに思い出のギチュンカンの近くまで行く男性が、まさか著者の沢木氏本人だとは。
山野井本人の近くにいた著者だからこそ聞くことができた、最後の言葉、「終わったな」
作り物の感動話ではない、ノンフィクションだからこその深みのある話。
心に残る一冊になりそうです。