ユーザーレビュー一覧(全604件 平均:3.5)

「理路整然を装った我田引水;うっかりするとイチコロ」 2006-01-06
レビュアー:荒野の偏微分(76人中49人が参考になったと回答)
著者の藤原氏は数学の分野で権威である方であるが、その理屈は整然としているようで、確信犯的誤謬に満ちている。たとえば第2章で論理そのものが破綻していることの確証として持ち出されるゲーデルの不完全性定理は、僅か2ページで肝心の定理の解説が済まされており、しかもその公理系が自然数論を含むものに限られ、公理個数は有限であるなどの重要な限定は一切省かれている。ゲーデルの定理は「あらゆる論理が常に破綻している」ことなどを意味してはおらず、敢えて言えば「完全無欠の自然数論的論理体系は、公理数を有限に限る場合には存在し得ない」ことを示すに過ぎない。ましてや現実論において、「理屈というものが間違っている」「論理に従うべきでない」ということにはならない。藤原先生がそんなことを知らない訳がなく、これは数学者としての自らの地位を利用された欺瞞と言われても仕方がない。この本の論旨は大同小異で、数学的、論理学的な展開と見せても実際には気づきにくい重要なところで話をおかしくして、究極の我田引水を図っておられるようだ。その主張されるところには国語重視など聞くべき意見もありはするが、「戸外で婦女子と話してはいけない」というような前時代的な話を、「ならぬことはならぬものです」などという恒言命題で押し付けられても迷惑以外の何物でもない。「卑怯」はいけない、という氏の意見は正しい。それなら、この書物の論旨展開は何より「卑怯」であろう。この本がベストセラーとなるということ自身が、考える力の低下を、そしてそれにつけこむ扇動者の跳梁を、意味しているのではないだろうか。

「新渡戸稲造の「武士道」とは別物」 2006-02-01
レビュアー:上杉(63人中49人が参考になったと回答)
私は新渡戸稲造の武士道を座右の書にしています。新渡戸は米人を妻にして世界に紹介するために「武士道」を書きました。「新渡戸武士道」は排外的な書物でなく、武士道の普遍性を示すために書かれました。(読めばわかります)本書で称揚されている武士道はどうしても日本がすばらしい、日本が一番というような排外的なニュアンスを含んでいます。
第2次世界大戦の前に国家主義を大声で唱えた人たちの多くは文学者や教育学者で、政治学者や法律学者は少なかったのです。つまり情緒的な人間が理屈を超えた排外的国家主義者になり、理屈がわかっている人は(恥ずかしいので)なりえないのです。現在でも渡部先生とか著者のような人が情緒的な排外国家(自己中)主義を唱えるのは理解できることです。
普遍性を希求する新渡戸武士道が、このような排外(自己中)思想に引用されるのは残念でなりません。しかし本書を読んで新渡戸武士道に興味を持ってほしいと思います。
武士道は自己の「信念体系」であり、「品格の有無」を気にするような他人を意識した相対的な世界ではないと思います。「侍は死んで忠になることもあり、がまんして忠になることもある。死ぬべきときに死し、生くべき時に生きる。むやみに死ぬのは犬死である」と説く、武士の本質と本書はどこかずれていると感じます。

「大きな流れで読む」 2006-02-09
レビュアー:一都民(101人中49人が参考になったと回答)
この本の評価はいろいろあるようだ。
批判的な意見を聞くと単に思考の浅薄さ、読解力の不足を露呈しているように思えてしまう。まっとうな批判ができているものも、細部にこだわっているだけのように思える。
虚心坦懐に読めばどんな人でもこの本の素晴らしさに感動すると思う。
自信を持ってお勧めできる。

「間違いなく『お笑い本』です。」 2006-08-18
レビュアー:伴墨土(109人中49人が参考になったと回答)
私は唐突に一昔前に読んだテリー伊藤の『お笑い北朝鮮』を思い出しました。「自分の国に誇りを持たない人間はぶっとばす」などという下劣な表現を使う、品性無き人間が国家の品格を論じる。全くのお笑いです。著者自身も自分の妻君を引き合いに出して自覚しているのだから、よけいに笑えます。最初からまともに取られるとは思っていないし、これほど売れるとも思っていなかったでしょうね。なにしろ折に触れて書かれたエッセイ集ですから前後で矛盾している記述がかなりあります。これをいちいちあげつらっていてはきりがないでしょうが、著者の言うことを真に受けて完全に実現しようと思ったら、方法論としては鎖国しかありません。人間は論理だけの存在ではないと言い、ゲーデルの不完全性定理を挙げていますが、数学者のくせに全く理解していないのが明白です。この点はバートランド・ラッセルに酷似しています。彼は自ら「私は最も良く頭の働く20代から30代に数学をやり、歳と共に頭の働きが鈍ったので哲学をやり、それもできなくなったので社会運動に手を出した」この本の内容を否定的であれ、肯定的であれ、真面目にしかとれない頭の固い読者はほんとうに哀れ、としか云い様がないですね。

「ページが薄けりゃ、中味も薄い。」 2006-01-06
レビュアー:misidazai(117人中48人が参考になったと回答)
風流風流わめいていれば、風流になるのか?
風流には風流の方法論があるのですよ。
日本に合理思想がそもそも無かった、といってしまうと平賀源内のような存在はどう理解すればいい。日本にも合理思想は草莽として根付いており、そもそも根源としてあったのだ。だからこそヨーロッパの思想を容易に受容することが出来たのだ。
ほんとに中味のない大衆本。
それに武士道は単なる情緒の産物ではないですよ。思想体系としてしっかとしたものが存在しており、だからこそ単なる殺人思想に堕落せずに済んでいるにではないか。