ユーザーレビュー一覧(全10件 平均:3.5)

「画期的労作」 2006-10-06
レビュアー:気楽蜥蜴(13人中10人が参考になったと回答)
20世紀音楽についての本は単行でも微々たるものだが、どこでも手に入る新書でこのような労作が読めるとは思わなかった。
内容は基本的には年代、主義、地域によって作曲家を区分する常套手段で編まれており、マラー、シェーンベルクといった20世紀音楽の王道にある程度のページが割かれているが、本書の主眼はそこではないようだ。この本のミソはヴォーン=ウィリアムズ、ヒンデミット、イタリア、東独の作曲家(前衛なの?保守なの?)への目配りにあり、彼らの音楽がいかに20世紀的であるか、と言う事の証左としてマラー、シェーンベルクが度々現れ、いわば狂言回しを演じているようなのだ。王道はどんどん横道にそれ、細分化され、時には行き詰ったりするカラクリになっている本だ。
この本で紹介されている音楽の多くは聴きやすいものなので、クラシックは聴くけど、現代音楽は・・・と思っている人には、ちょうど良い「挑発的」入門書になっていると思う。また、本のカラクリに身を(耳を?)任せ、教条的な20世紀音楽受容から解放されてみるのも良いかもしれない。
私としては80年代以降(リームの部分は素敵)の動向がもっと載ってたら良いな、と思ったので満点でないけど、それはこの値段の新書なので仕方ないのかな・・・

「斬新な20世紀音楽の入門書」 2006-10-08
レビュアー:クラシックの素人(13人中8人が参考になったと回答)
とにかく風変わりな本である。対象とする読者は誰なのか?玄人なのか素人なのか?初心者なのかマニアなのか?普段大学の音楽史などで聞かされる音楽史とは全く違う。重点の置き方が全く違うのだ。シェーンベルクやストラヴィンスキーに対してはそれなりのページを割いているけれど、旧東ドイツの作曲家やブソーニ、ヒンデミット、アイネムなどに対する分量と比べるといかにも少ない。バランスが悪い。はじめはそう思って読んだ。でも、気になったのでったので再読、「はじめに」から注意深く読んでみた。そしてこのバランスの悪さは「わざと」だな、と気づいた。これまでの音楽史記述を相対化すること、見直すこと、こそこの著者の第一の目的だったのではないだろうか?作曲家のバランスの悪い採りあげ方、執拗かと思うといきなりあっさり通り過ぎてしまう記述の偏り。これらすべてを把握した上で「音楽史」とは何か「歴史を書くとは何か」が問題化されてゆく様は見事だ。そう思って読んでみると俄然おもしろくなった。廉価なナクソス盤を多く採りあげた音盤の紹介も周到だし、音盤、映像の紹介も実に丁寧。とにかく細部にこだわるのではなく「はじめに」と各章冒頭の総説だけを追って読んでみると良いかも。でもこういう挑発的な本、一部のマニアには攻撃されるだろうな。蛮勇への敬意を込めて五つ星。

「♪まだ知らぬ音楽の世界への誘い」 2006-09-23
レビュアー:南河内太郎(7人中5人が参考になったと回答)
450ペ−ジにも及ぶ新書にしてはかなり分厚い装丁。
20世紀のクラシック音楽を俯瞰するということで、
その音楽的動向から飽和、拡散、変容の3つに区分しながら、
のべ 84人の作曲家とその主な作品が紹介されています。
そのうち、どこかで名前だけは聞いたことがあるかなという作曲家も含め、
私がイメ−ジできる作曲家は半分にも及びません。
その作品となるとほとんどお手上げ。
しかも紹介されているのは、海外の作曲家ばかり。
日本の作曲家が取り上げられていないのが少々残念ですが、
かろうじて本編最後に「日本作曲家選輯」(ナクソス)が 入手可能な音源として
紹介されているのが救いでしょうか。
そもそもミュ−ジックショップでも現代音楽のCDは少なく、
またFMの音楽番組でも、取り上げられる機会の少ないジャンルです。
とにかく「百読は一聴にしかず」
紹介されている音源を手がかりに、
まず聴いてみることでしょうか。
その意味から、現代に息づく音楽にこれから触れていこうとする人にとっては、
手ごろなガイドブックになると思います。
まだ知らない音楽の世界を、一緒に歩いてみませんか。

「etoille」 2006-10-07
レビュアー:Nippless(13人中5人が参考になったと回答)
光文社新書が前代未聞の破壊的著作を出版!
斬新にして華麗、その切り口を拝めば一目瞭然。
今をときめく前衛芸術学者、そう、あのプロフェッサー宮下が前著20世紀絵画から一息吐く間も許さず新作をお披露目(しかもまたもや新書!)してしまったのである。
逸脱する絵画、迷走する音楽、20世紀絵画、そして此の20世紀音楽。
彼の緩いお口は最早とどまるところを知らず、溢れ出す言葉の洪水に溺れ、なにをかいわんや。
冗談めかした帯の商売文句に笑いを堪えても扉を開けばミステリ。
今やクラシック音楽は芸術さまさまと祭り上げられ、日本のどこだろうがすました顔の劇場にはセレブぶったキャベツ達が演出家や指揮者達が頭をひっくりかえして考えた舞台を自己満足の道具にする時代、音の向こうに“人間”を見、襲いかかる切なさにやりきれなくなる様な、そんな世界を、座席に縮こまりオペラグラスから見えるものだけを信じて一喜一憂している現代人に叩き付ける、“京極夏彦流に云うなら”『厭な』本である。
音楽が構築され飽和し拡散しそして消滅、再臨する「ものがたり」を、燃えたぎる情熱を懐に隠しながらニヒルに笑って見せる姿はまるで言葉のバタフライ。
ここで最も重要視されているのは果たして音楽であろうか?
壇上で語られているのは音楽という服を着た“人間”そのものではないか。
やや難解な漢字の振り仮名を呼んでいる内に見えてくるはずだ。
本当に「俯瞰」しているのは?いや、貴方は本当に"「俯瞰」している"のか?
芸術学とはあらゆる芸術とあらゆる思想、文化、世界に踊る全てをひっくるめて、その彼岸に人間そのものを認めるものだと私は考える。絵画、音楽の「流れ」を重ね合わせ、週間コミックの付録が如く、目をひんむいて砂嵐の向こう側に見えるモノを探して御覧。
さあ、読まれているのはどっち?

「結局」 2006-12-03
レビュアー:わらべ(9人中5人が参考になったと回答)
『迷走する音楽』と同様に、ただの紹介本でしかない。
作曲家一人ひとりをサラッと取り上げて、楽曲紹介をしているだけだ。
ある程度知識を持ち、聴きなれている人間にとっては物足りず、また初心者にとっては
入門と呼ぶには敷居が高く非常に堅苦しい印象を受ける。
どんな人間を対象として書かれているのかが不明解で、そのために中途半端になって
しまっているのではないだろうか。
今後、宮下教授にはぜひ、初心者向け、中級者むけ、上級者向けのように段階ごとに分けた
ものを期待します。